毎日やらなければならないことはほぼできている。
朝、遅刻しないように起きられる。
辛いことがあっても感情を切り離して、自分が感じている辛さだと思わないようにすれば何も感じない。
そうやって日々をやり過ごすことができていたし、辛いことは乗り越えてゆくものだと思っていた。
自分に原因があって辛い目に遭うのであれば、その原因を追求する。
本を読んだり人の考えを聞いたりしたときに、生き方のヒントになることを心に留めておく。
辛いと感じてしまう自分の心のメカニズムを解明し、試行錯誤して考え方を変えてきた。
この度、2年間続けた仕事が合わなくて生まれて初めて適応障害との診断を受けたのだが、こうした心身の感じ方が今に始まった事ではないことにも気づいた。
孤独感、絶望感、希死念慮。
休むことが許される時間になると、全身を襲ってくるこれらの感覚。
朝がくれば昨日と同じように周りと同じように生きてゆかなくてはならないから、自分の感じ方考え方を変えようとしたり、感じないようにしたりしながら騙し騙しやり過ごしてきた長い年月。
病院に行くことを思いつかないような小さい頃から今に至るまで、勉強に逃げたり憑依霊のごとく他者に縋り付いたり、大人になってから何件か病院やカウンセラーを変えたりしながらどうにか症状を抑え込んできたけれど。
そうか、これが適応障害の感覚なんだ。
多分、私はずっと適応障害だったんだ。
医者から診断されたのは今回が初めてではあるけれど、もうはるか昔から出たり消えたりしてきた感覚だもの。
すとんと、腑に落ちたように思う。
自分のたどってきた人生を振り返る。
恵まれた人生の部類に入ると思う。
だけど、とても心が消耗する人生でもあった。