ふつうをめざして生きていく

適応障害の専業主婦日記

私の就活史①(新卒で就職するも半年で退職)

私は社会で働くことに向いていないのかもしれない。世の中に適応できない。

 

これは今から○十年前の話。

新卒で就職活動をしていた頃、目前でバブルが崩壊し、とても苦戦した。

大学時代はかなり遊んでしまった。

中学、高校と、受験勉強の邪魔になるからと好きな部活に入ることを親から許されず、やりたくもない英語部に入った。

友達と遊びに出かけたのも年に1回か2回。観たいテレビも見させてもらえなかったし、ファッション雑誌を読んだり、流行りの音楽を聞くのも許してもらえなかった。

家にいる間は勉強に集中できているかをよく監視されたし、勉強に関係のあるもののみ興味を持つことを許された。

 

やりたいことを何もしないまま、勉強以外の興味のアンテナをとじてひたすら勉強ばかりしていた。その割に成績は伸び悩み、高校3年の夏休み、本番まであと数ヶ月、いくら本気出しても到底間に合わないことを悟った。

結果、入りたい大学は全て落ち、「一応」受けておいたところが一つだけ合格した。

 

両親とも高卒だったので、私が大学に入ると勉強への口出しは少なくなった。

それをいいことにとにかく毎日遊びまくった。

単位が取れればいいと最低出席日数を計算しつつ授業をサボり、遊ぶ金欲しさにバイトしまくり、本を読むことも資格を取ることもせず、失われた時間を取り戻すかのように楽しく遊ぶことを貪っていた大学時代。

 

大学時代の過ごし方は、就職活動にてきめんに現れた。

多くの企業にとって買い手市場となるや、一つ上の先輩たちから聞いていた話とはまるで異なる就活状況。意地悪な対応をされたりあからさまな学歴差別を受けたり。馬鹿にした態度をとられたり。

お嬢様の友人たちは縁故で次々に内定していき、私のような何も取り柄を持たない学生には座れる椅子がほとんど残っていない。

もうどこも働ける気がしなくなっていた夏のある日、ようやく取れた内定先は、とある宝飾製造及び販売の会社。

 

全く考えてもいなかった業種だったが、職人からの叩き上げで昇りつめて会社を興した社長は誠実で、尊敬できる人だと感じた。

学生時代何も身につけてこなかった私を採用してくれたこの会社で頑張ろうと決意し、前向きな気持ちで入社式を待っていたのだが。

 

配属されたのは、デパートのテナントとして入っている店舗。

ここに配属された新人は、大卒の男子1人と高卒の女子1人と私。合計3人。

店長、副店長、主任2人、先輩3人と、合わせて10人。

当時そのデパートの営業時間は10時から20時。なので、社内規定では早番と遅番のシフトで勤務することになっていた。

 

ところがその店舗は早番も遅番もなし。毎日開店前の準備から閉店後の片付けまで勤務時間。

新人の私は朝8時には出勤し、退勤は21時になる。それが毎日。月1回はミーティングと称した反省会が居酒屋にて行われ、店長に解放されるまで帰れない。終電がなくなり、自腹でタクシーで帰ったこともあった。

 

その店舗の店長は当時40代はじめくらいだったろうか。女優のように美人でスタイルが良く、頭が切れて非常に仕事ができる人だった。顧客や本部からの信頼も厚かった。

しかしかなりクセのある人だった。

 

本当は早番と遅番のシフトで勤務することになっているのに、「うちの子たち、早番で途中で帰るのとか、遅番で途中から入るのが嫌だって言うの」と言い、最初からシフトを分けなかった。

だが私はシフトに関しての希望を何にも尋ねられていない。一緒に入った新人たちも先輩たちも、少なくとも当時同じ店舗にいたメンバーは誰1人シフトについて何も相談されたこともないと言っていた。

 

毎日、立ちっぱなしで13時間労働。バックルームで取る食事休憩ですら、客に呼ばれたら立って出ていかなければならないし、休み時間が残っていても食べ終われば店に出なければならない不文律がある。

 

休日は交代で取るが、希望はまず聞いてもらえず、いつ休めるのかギリギリまでわからなかった。

 

当時は今ほど労働者を守る法律が揃っていなかったので、こういうことがまかり通っていた。

 

また、店長は「お気に入り」と「捌け口」を作るタイプだった。

新人3人のうち、高卒の子はお気に入りになり、とても可愛がられ、何をやっても「よく気が付く」と褒められていた。大卒の男子には恋心さえ抱いているかのようで、付き人だか愛人だかわからないポジションでいつもそばに置いていた。休憩時間以外にも度々バックルームに2人でシケ込む姿をみんなに目撃されている。

そして私は、全く理由に身に覚えがないが、店長から嫌われてしまった。ターゲットが私になった。

 

この店長に嫌われると言うことは、職場の居場所がなくなるということ。何かにつけみんなから嫌がらせを受けたり嫌味を言われたり、ひどい扱いをされるようになった。

 

きつい仕事や面倒な仕事を回されることも嫌だったが、みんなの分のコーヒーを買いに少し遠くまで行かされる役目までさせられた。私が買ってきたコーヒーを、店長は「まずい」と言いながら飲んでいた。

 

思い出せばキリがないが、身体が疲れ、心が疲れてもう仕事に行くのが嫌になっていった。

夜は気を失うように入眠するが、動悸がして早朝覚醒してしまい、慢性的に睡眠不足になった。入社したばかりの頃はここで頑張ろうと思っていたのに、ここではもう未来が見えなくなってしまっていた。失敗が増え、覚えるべきことも頭に入らず、お客さんにも迷惑をかけ、仕事ができない人になってしまった。

とにかく身体がぐったり疲れ切ってしまい、今の季節が夏なのか秋なのか春なのかもわからなくなり、夜身体を横たえる時だけを楽しみに生きていた。

 

半年ほど働いた9月のある朝、もう仕事に行くのはやめようと思い、本社に辞表を郵送し、出勤することをやめた。

病院には行かなかったが、しばらく何をするにも気力がわかず、心を病んでいたと思う。

 

こうして社会人一年目は、わずか半年で幕を閉じた。