ふつうをめざして生きていく

適応障害の専業主婦日記

適応障害療養記録⑧ (コロナ禍、家族が在宅での療養。その心境)

2021年11月現在、日本のコロナ禍は小康状態になってきたが、夫の在宅勤務は続いている。

子どもの学校も、授業によってはオンラインが定着し、週に2日しか学校へは行っていない。

私、療養継続中。

 

心身の調子が回復してくると、自分だけがただ怠けているような図になってしまう。

動けるようになってきたといっても、私はやりたいことをやりたいタイミングで、できるペースでやっている。

 

掃除は1週間単位でちょこちょこやり、「住める」状態になっていればよしとする。

洗濯物を夕方4時ごろ干す。

丸一日経ってから(前日干した)洗濯物を取り込む。

あとの時間はネットサーフィンをしたりゲームをしたり、ブログを書いたり。

頭マッサージとエクササイズのルーチンはやるようになった。

買い物にもなるべく行かない。

疲れたら午前中でも横になって眠る

 

一方で夫は朝決まった時間に起きてトーストを食べ、コーヒーを淹れたら定時よりだいぶ早くに仕事に取り掛かる。

休憩もきっかり1時間で、その間に昼食を食べ、散歩に出かける。

仕事終わりは定時の時もあれば残業する日も度々ある。

在宅勤務だからといって、人の目がないところでゆるく仕事をしているわけではない。

オンラインでのやりとりを常時しつつ、書類の作成(としか、内容が理解できない私には説明できない)をする。商談もし、会議にも出る。

移動時間がない分、仕事をしている時間が増えている。

 

子どもは、学校のある日は私よりも早く起きて身支度してトーストを食べて出かける。

オンライン授業の日も、必ず間に合うように起きて準備を整え出席している。

宿題や部活動の仕事もして、アルバイトにも行く。

 

そんな彼らと一つ屋根の下で、私はだらだらと一日パジャマのような格好で寝たり起きたり。

家族の中で私1人だけ、やりたくないことはしない人になっている。

 

夫は、仕事柄メンタルヘルスについての理解があるので、そんな私を好きなようにさせてくれているが、それがものすごく申し訳ない。

夫が仕事をしている隣の部屋で、私は惰眠を貪っている。

 

きちんと働いたり、学生生活を送ったりしている人たちは、嫌なことが何もないからできているわけではない。

それなりに心身に負荷がかかることがあっても、頑張って毎日を繰り返している。

無理でもなんでも、歯を食いしばって頑張っている。

ふつうのことを、当たり前に頑張っている。

 

適応障害の私は、

ただ生きているだけで頑張っている。と言われる。

顔を洗えただけで頑張っている。と言われる。

 

だが実態は、

いろいろ我慢しながら働いている人たちに寄生して生きているように思えてしまう。

私は世の中に対して、なんの義務を果たしているだろう。

みんなが当たり前にしていることをやらないで。

 

「生きている。ただそれだけで素晴らしい」

そんな言葉は綺麗事。

こういう言葉は馬鹿にされているようにしか感じない。

 

そこまで思うのなら、それこそ無理でもなんでも死ぬ気でやればいいのだが、

情けないことに何かひとつやると、ぱったりガス欠のようになってしまう。

 

せめて、今生かされていることを後で後悔しないように、たった一つでも役に立つことをしようと、夕食だけは、作り続けている。

1日に1度は、家族に栄養のつくものを提供したい。

今、これだけは心掛けている。