私はふつうではない。
頭の中がふつうではないから、ふつうではないことをして、とても生きにくさを感じてきた。
ふつうになりたくてなりたくて、いろんなところに相談した。
そこでたいてい言われたのは、
「あなたにとって、ふつうって何ですか」
ということ。
ボランティアの相談員ならまだしも、医者やカウンセラーまで言ってくる。
ふつうではないことに悩んでいる人から相談を受け話を聞いて、
「ふつうではない空気感」を感じ取っているはずなのに、
質問に質問で返してくる、この非常に失礼極まりない言葉。
彼らはさらにこう続けてくる。
「たとえば天才って呼ばれている人はふつうじゃないですよね」
「ふつうの基準ってあるんですかね」
「みんな同じじゃ面白くないじゃないですか」
「外国では個性的な人って人気者ですよ」
違う違う、私は、そういうことを言っているのではない。
取り柄がないことを言っているのではない。
個性がないことを言っているのではない。
だって、絶対みんなが身に覚えのある感覚がある。
ある人に対して「あの人、おかしい」という印象を受けたことのない人はいない。
身の危険を感じてそう思う場合もあるけれど、
ただ漠然と「なんか変」って思うこと、誰だってある。絶対ある。
カウンセラーだろうと医者だろうと、人に対してこう感じることは絶対ある。
それを私は言っているのに、はぐらかされたような徒労感をいつも味わう。
私はふつうではないから、「ふつう」が何かを言語化できない。
ひとつ思うことは、心の「病み」と「闇」を癒すことができれば、言動がふつうに近づくかもしれないということ。
ふつうの人が悩みを抱えても、手当たり次第に電話相談ジプシーをしないだろうし、
周囲を巻き込むような動揺の仕方をしないと思う。
人から注目されるためにバカな言動をすることもないと思う。
急に大声で話し始めることもないと思う。
もうずっと、かなり長いこと悩んできた。
中学生の頃、地元に入院もできる精神病院ができた。
そのとき私は親に、その病院に入れてくれと懇願した。
頭がおかしくて、苦しくて死にたいからと。
しかし全く相手にしてもらえず、その機会を逸した。
その後何年も、ふつうの人ならしないことをたくさんやって、自分史を真っ黒にして、
ようやく20年くらい前に最初の精神科を訪れた。
だが、
自分から合わないと感じたり、
逆に医者が自分にうんざりしてると感じたりして、
病院を何回も変えた。
話をじっくり聞いてもらうならカウンセラーだが、これも病院と似たような経過をたどった。
自分のことを自分が納得できるまで話しきるなんて難しい。
第一、患者だろうとクライエントだろうと、他人の人生や頭の中身になんか、本気で関心持つなんてあり得ない。医者やカウンセラーが途中から本気で聞いていないモードに切り替わっていることくらい、こちらはちゃんと感じ取っている。
だから、自分をふつうになおすことができるとしたら、その可能性は自分にしかないと思う。
できるだけ多くの「ふつうの人」から、ふつうの空気感を取り入れながら。