ふつうをめざして生きていく

適応障害の専業主婦日記

専業主婦のジレンマ (後編 ①子どもの激しい反抗期)

子育ての黄金期が終わり、子どもの反抗期を通じて自分の子供時代の闇が見えてきた、と言う話。

 

 

子どもが成長していく過程ごとに親としては関わり方を換えてゆかなければならないが、

私はそうした変化も苦手なのだった。

 

公園で他の子たちと遊ぶ姿を見守りながら寛いだり、

いろんなところに家族で出かけ、子どもが喜ぶ姿を見れば嬉しかったし、

習い事などで様々な体験をさせることは、親としても楽しみだった。

 

毎日ひなたぼっこをしているような、満ち足りた気持ちで過ごしていた。

子供の頃から病んでいた私が、

生まれて初めて「誰のことも羨ましいと思わない時間」が、そこにはあった。

だから子どもが思春期を迎える頃になって、

子どもの方は、私とは異なる感じ方をしていることに、気づかなかった。

 

私の子の反抗期は早かった。

小学校高学年になると、

私にトゲトゲした態度をとるようになったし、

ことある毎に、私の気に入らない選択をわざとするようになった。

 

何度もバトルを繰り返し、ある時こう言われた。

「もう早く人生終わりたい。自分の人生生きている気がしない」

と。

 

そして、私が幸せだと思っていた家族旅行や、外食など、家族で何かやるのはもうイヤだと。

 

その時の打ちのめされた気分といったらなかった。

すぐには子どもの言葉を受け入れられなくて、また大闇期に突入した。

当時の病み方は相当酷くて、

病院にもカウンセリングにも通ったけど、

私の受け入れられない気持ちが頑固すぎて、まるで改善しなかった。

電話相談ジプシーもひと月ほどしたし、目の前が真っ暗でどん底に落ちた。

 

しかし苦しみ抜いて時間が経ってみると、

自分自身が子どもの頃に病んでいた理由がわかった気がした。

 

私は母のようにはしないと思いながら子育てしていたが、

子どもを

「自分が思い描いた姿」に矯正し、

「自分が正解だと信じていた道」歩かせようとしていたところは、

無意識に母と同じことをしていたのだ。

 

自分で考える前に、先回りして道を示してしまう。答えを言ってしまう。

自分の考えが親の価値観と異なる時、親の考えで上塗りされてしまう。

好きなものも嫌いなものも自分と親とは別なのに、同じだと決めつけられて与えられる。

そうしたことに、私は子どもの頃どれだけ絶望していたか。

 

子どもの言葉は、昔の私自身の心の叫びと同じだった。

 

このことがわかってから、ようやく私は子離れしなくてはいけないと、

本当の意味でわかった気がする。

 

私がこのことに気づいて、関わり方を大きく変えたからといって、

子どもの反抗期は収まらなかった。

でも、それは自分の力で試行錯誤して、もがいているのだから見守ることにした。

 

それまでの私は、子どもが自力でもがくことさえも抱きしめて縛り付けていたのだから。

 

子どもは習い事を全て辞め、

ネットの世界に没した。

中学生の時も高校生の時も、午前中は学校に行かないで、昼過ぎにようやく登校したり、

定期テストの前でも遊び歩いたり、

受験期なのに映画観に行ったりコンサートに行ったりしていた。

 

苦手を克服するとか、得意を伸ばすとかの努力もしない。

宿題はやらず、

ミニテストや追試も受けず、

補修にも出ず、

先生からの放送での呼び出しにも応じなかった。

 

体育祭の朝練午後練には不参加を決め込んだ。

 

学校の子どもへの評価は最低だった。進学の推薦など、絶対どこにもしてもらえるはずもなかった。

 

そんな子どもだったが、仲の良い友達はいて、

学校の友達ともネットで知り合った友達とも仲良く遊んでいた。

夜遅くまで遊び回ったりもしていた。

友達の中には私の知らない人もいたけれど、

友達と楽しく過ごしている話を私によくしていたから、

大丈夫なのだろうと思った。

 

子どもの私への反抗は、「自分自身を一番に守るため」だと思うから、

そこを信頼する根拠にした。

 

子どもが楽しい話をしているときは、悪い状態じゃない。

悪いことをしていたり、

苦しんでいたり、

困っていたりしたら、

楽しい話を親になんか絶対できない。

 

子どもは自分で友達を選び、学び、人生を切り拓いている。

もう「早く自分の人生終わりたい」などと言わなくなった。

毎日、やりたいことがありすぎて時間が足りない。

こんなに生きるエネルギーに溢れていることはないと思う。

 

私がもし、兼業主婦だったら子どもと向き合う時間は限られていたので、

子どもが苦しくなるほど距離が近くはなかっただろう。

しかし、無意識に母が私にしていたことはやはりしてしまっていたと思う。

 

そのことで子どもが苦しんでいたとしても、

私が仕事を持っていたら子どもの苦しみを見ないようにしてしまったのではないだろうか。

 

人生でかなり苦しんだ時期だったけれど、意味のある時間だったと思う。